大判例

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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)759号 判決 1967年4月28日

控訴人 東京都

被控訴人 安藤萌生

主文

原判決中控訴人と被控訴人に関する部分のうち控訴人勝訴の部分を除くその余の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用中控訴人と被控訴人との間に生じた部分は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人指定代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は控訴人指定代理人において当審証人長沢実の証言を援用したほか、原判決事実摘示と同一であるから右事実摘示中の控訴人と被控訴人に関する部分を引用する。

理由

一  当事者間に争いのない事実

被控訴人が公職選挙法違反被疑事件の被疑者として昭和三七年七月二日警視庁留置場に勾留され、同月一〇日午後五時四五分釈放されたが、その間接見、交通を禁止されていたところ、訴外(第一審原告)山田善二郎は、新日本出版社刊行の書籍村上国治獄中文集「怒りの十年」(以下本件書籍という。)を被控訴人に差し入れるため、同月九日東京地方裁判所裁判官の差入許可を得、翌一〇日訴外奥山恒弘をして本件書籍を警視庁に持参させ、奥山は差入れ係の担当者であつた総務課看守係長訴外(第一審被告)尾崎利一に対し、裁判官の差入許可決定謄本とともに本件書籍を提示して被控訴人に差し入れることを求めたが、尾崎は、差し入れを拒み右書籍の受領を拒否したので差し入れが不能となつたこと、右書籍の内容中、「苫小牧署での食事改善のたたかい」と題する項に、控訴人が主張するとおり、それぞれ留置人が警察側の困却する行動に出るときは警察の係官は案外弱く、そのため留置人の要求がいれられる可能性がある趣旨の記載および「監獄法の改正と獄内処遇改善のために」と題する項に留置場内における被疑者らに対する警察の処遇が不当で、食事、下着等は非衛生であり、規律も過度に厳格であるからこれを是正させる必要がある趣旨の記載のあることはいずれも当事者間に争いがない。

二  本件書籍の差入れが拒否された経緯

右当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第一号証同乙第一、二号証、原審証人奥山恒弘、同加藤正夫の各証言原審における原告山田善二郎および被告尾崎利一の各供述、原審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると、本件書籍の差入れが拒否されるにいたるまでの経緯については、原判決理由第一枚目表二行目「一事実関係」記載の諸事実(同上表八行目冒頭の「原告安藤は」から同上二枚目裏七行目の「部屋に戻つた」まで)を認めることができるから、右部分の記載を引用する。

三  差入れ拒否行為の適否と賠償責任の有無

(一)  まず被控訴人は本件書籍の差入れが裁判官によつて許可された以上、留置上の管理者はこれに拘束され、重ねて右書籍差入れの許否を決する裁量の余地はないから差入れを拒否したことは違法であると主張するが、裁判官の右許可は、刑事訴訟法第八一条に基づいてなされた一般的接見交通の制限を、本件書籍に関する限り解除したというにとどまり、解除の結果は再び原則規定たる同法第八〇条の適用を見ることとなるに過ぎないから、裁判官の許可によつて留置場の管理人は当然に差入れを拒否することができないこととなるとの被控訴人の主張は採用できない。

(二)  次に被控訴人は、本件書籍は信書と同視されるべきものであるところ、監獄法第四七条第一項は受刑者についてのみ信書の発受を制限しているのであるから、被疑者に過ぎない被控訴人に対する右書籍の差入れを拒否したことは違法であると主張するが、監獄法は文書と信書とを区別して規定しており、また本件書籍が信書でないことは明らかであるから、被控訴人の右主張もまた採用できない。

(三)  そこで本件書籍の差入拒否が刑事訴訟法第八〇条の規定による「法令内の制限」として許されるかどうかについて判断する。

控訴人は、本件書籍は留置場の規律を害するものとして監獄法施行規則(以下規則という)第一四二条、第一四三条に基いてその差入を拒否したものであると主張し、右各規定による制限が刑事訴訟法第八〇条にいう「法令の範囲内」の制限に該当することはいうまでもない。

思うに、監獄は、社会各般の階層から成る犯罪人および犯罪容疑者を強制的に一般社会から隔離、収容する施設であり、被拘禁者は、その特殊環境と被拘禁者の性格、心理状態によつて精神の平衡を失いがちであるから、被拘禁者の生命、身体の安全確保、その衛生および健康管理、施設内の秩序維持等のために被拘禁者に関し一般社会とは異る規律を設ける必要があることはいうまでもないところであつて、そのために憲法の保障する基本的人権についても、合理的と認められる範囲においては被拘禁者が一般人については許されない自由の制限を受けることも已むをえないところといわねばならない。そして監獄における規律を維持するため自由の制限が如何なる範囲において合理的と認めるべきかとの基準については拘禁自体に当然随伴する自由の制限は別として、一般的には拘禁の目的ならびに制限せられるべき基本的人権との関連において考えられるべきであり、被疑者に対する書籍の差入についてこれを見れば、被疑者は無罪の推定を受けるとともに被疑者の勾留は、教化、改善を目的とする受刑者の場合と異り、逃亡および罪証の隠滅を防止するためにのみ行われるものであり、勾留期間も一時的であること、勾留によつて侵害せられる被疑者の基本的人権は民主主義の支柱として高度の尊重を要する憲法第二一条の定める表現の自由に含まれる読む自由、知る自由であつて、しかも読書は勾留中の被疑者にとつては無聊を慰める最良の方法の一として多く渇望せられていること等に照せば、書籍の差入れを拒否することが単に留置場の規律を維持するに好都合であるとか、あるいは被疑者の抱懐する思想内容から見て留置場の規律を害する抽象的な危険性があるとかの理由だけでは、差入れを拒否しうべき正当な理由とは認めがたく、被疑者の性格、収容の場所、看守者の人員配置その他諸般の具体的状況の下において、書籍の差入れが留置場の秩序を害する結果を招来するについて相当の蓋然性が認められる場合にのみ、規則第一四二条にいわゆる「規律を害すべき文書」として書籍の差入れを拒否しうるものと解するのが相当である。

よつて、本件についてこれを見るに、本件書籍中「苫小牧署での食事改善のためのたたかい」と題する項は、著者村上国治が被疑者として苫小牧警察署に収容中に行つた食事改善のための「ハンガーストライキ」を回顧し、警察係官は留置人の抵抗に対しては案外に弱く、抵抗によつて留置人の主張が貫徹せられる可能性のあることを示唆する記述があり、また「監獄法の改正と獄内処遇改善のために」と題する項は、獄内の処遇の改善を求めるため法務大臣に宛てて提出した請願書を収録したもので同警察署留置場内部の日常の処遇の実状が記述されており、右記述はその内容についての誇張の有無はともかくとして、留置場の管理者にこれによつて留置場内の規律の維持を害されはしないかとの虞を抱かせ、差入の書籍としては好ましくないとの印象を与える趣旨のものであると認められ、さらに原審証人加藤正夫、当審証人長沢実、原審における被告尾崎本人の各供述によれば、警視庁においては昭和三五年以降単独または集団的なものを合せ「ハンガーストライキ」ないしその動きが四例あり、被拘禁者は一般に糧食の問題についてはきわめて敏感であること、警視庁の留置場には当時二八の雑居房しかなく、一房の定員は約八名ないし一三名、定員総数二四〇名であるのに対し、三人の常務係官がこれを看守しているに過ぎず、従つて差入の書籍を他の被拘禁者が読する機会を全く封ずることは実際上困難であること等の諸事実が認められる。しかしながら、本件書籍で著者は「ハンガーストライキ」は正しいやり方ではないと自己批判を加えているばかりでなく、前掲各証拠に徴すれば実例としての右「ハンガーストライキ」ないしその動きはいずれも糧食の問題に端を発したものでないこと、警視庁においては被拘禁者の糧食の問題については格別の考慮を払い、本件書籍に記載せられているような事例は全く存しないことが認められ、本件に顕れた総ての証拠によつても本件書籍の差入当時留置場の秩序が本件書籍によつて害されることが相当の蓋然性をもつて予見されうるような具体的事情があつたことは認められず、かえつて前記尾崎本人の供述によれば留置場管理者たる尾崎利一は、本件書籍の前記内容だけから見て本件書籍が煽動の具に利用されるようなことにでもなれば、糧食の問題であるだけに、これを契機として無用に被拘禁者の不平不満を誘発し、ひいては「ハンガーストライキ」等の留置場の秩序の破壊をも招来する虞があるとの判断の下に本件書籍を規則第一四二条にいう「規律を害すべき物」としてその差入を拒否したものと認められるので、尾崎の右差入拒否行為は違法の識を免れないものというべきである。

控訴人はさらに本件書籍は規則第一四三条に規定する有益な文書に該らないのでその差入を拒否しても違法ではないと主張するが、勾留中の被疑者に対する文書の差入に関する限り、前説示の意味においての監獄の規律を害すべき文書と認められない文書の差入を拒むことは憲法の趣旨に反するものと解すべきであるから、右規則にいう有益と認める文書とは、これを広義に解釈し、上述の意味においての監獄の規律を害すべき文書に当らないものは、総て有益と認める文書に当るものと解するのが相当である。従つて控訴人の右主張も理由がない。

よつて、進んで留置場管理者の過失の有無について考察する。書籍といえども、たとえば被拘禁者の反抗を煽動し、その具体的方法を教示するような内容を有するとすれば、それは、性質上当然規則第一四二条にいう規律を害すべき文書に該るものと解される。そして書籍の内容自体からその書籍を性質上規律を害すべき文書と認めるべきか否かの判定がなされる場合、その内容の如何によつては、観る者によつて見解の多く分れることがありうべく、判定の如何を廻つて微妙な問題を生じうべきことも想見するにかたくないところである。前段認定の事実によれば、本件は正に書籍の内容自体によつて規律を害すべき文書と決定せられたものであるところ、本件書籍は、前掲の項目について見ても、糧食改善の方法としての「ハンガーストライキ」は著者の経験からして正しい方法とはいえないとの告白があり、かつ抵抗の具体的方法について触れるところがないとはいえ、警察係官は被拘禁者の抵抗に対しては案外に弱く闘争によつて被拘禁者の主張の貫徹せられる途のありうべき趣旨が記されており、単なる警察署留置場における糧食や処遇の問題の批判ないし被拘禁者の権利の自覚の高揚の域を超えるとの観察が成立ちうるものであつて、右にいう規律を害すべき文書の意義について定説なるものの存在しない関係上これを内容自体規律を害すべき文書と見るべきか否かについて、観る者によつて見解の相違を生ずることも考えられ、従つてその差入を拒否した留置場管理者に直ちに過失の責を臨むのを酷に過ぎ相当でないと考えられる。しからば、控訴人東京都は、この点においてその公務員たる警視庁留置場管理者が公権力の行使として行つた本件差入拒否処分によつて被控訴人が被つた損害を賠償する責任はないものといわねばならない。

かりに、そうでなくて右留置場管理者に過失の責があるとしても、冒頭に認定した当事者間に争いのない事実と、原審証人加藤正夫の証言、原審における前記尾崎、山田の各供述、原審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると奥山恒弘が本件書籍の差入れのため警視庁に出頭したのは昭和三七年七月一〇日午前一一時頃であるが、当時既に被控訴人は取調べのため身柄を東京地方検察庁に移された後で警視庁留置場に居らず同日午後五時頃警視庁に送還され検察官よりの釈放指揮により同日午後五時四五分に釈放された事実が認められるので仮りに本件書籍の差入れが許されていたとしても、被控訴人が留置場内においてこれを読み得る機会は事実上なかつたこと、本件書籍は、国民救援会なる団体の役員であり、被控訴人とは直接面識のない山田善二郎によつて差し入れようとされたもので被控訴人は奥山が山田の使者としてのために警視庁に赴いたこともまた差入れの許否をめぐつて前認定のような経緯が存在したこともまつたく知るところがなく、釈放となつた後にはじめてこれを聞知したものであることが認められる。

ところで、被控訴人が賠償を求める損害なるものは、本件書籍の差入れが許されたとすれば被控訴人は留置場においてこれを読むことができたにかかわらず、留置場管理者の違法な差入拒否行為により読む自由を妨げられたことによる損害をいうものと解すべきところ、前段認定の事実によれば、被控訴人は、かりに右の差入拒否がなかつたとしても、釈放によつて本件書籍を留置場において読むことができなかつたのであるから、被控訴人主張の損害は全く発生の余地がなかつたものと認めなければならない。

四  結論

以上の理由により控訴人に対し慰謝料の支払を求める被控訴人の本訴請求は理由がないことに帰しこれと見解を異にする原判決は相当でないというべきであつて本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人と被控訴人に関する部分のうち控訴人勝訴の部分を除くその余の部分を取り消して右部分についての被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 仁分百合人 池田正亮 右田堯雄)

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